歌と踊りの祭典は5年ごとに開催され、一週間にわたって行われる大イベントです。ラトビアのカルチャーライフにおいて最も重要な祭典といえるでしょう。歌と踊りの祭典には、数百もの合唱団と舞踏団が参加し、数万もの観客を夢中にさます。この祭典は国際的にも大きな名誉を獲得しており、口述歴史のユネスコ世界無形文化遺産に認定されています。
歌う民
ラトビアの素晴らしい合唱音楽と民族舞踊の伝統が始まったのは19世紀中頃まで遡り、ラトビアの人々は誇りをもって自国民を“歌う民”と呼びます。時が経つにつれて、それは単なる“音楽的な活動”を超えた何か(人々の結びつけを強固に成し得る愛国心の現れ)になっていきました。アマチュアレベルだけれど極めて優れた歌い手、踊り手やオーケストラの音楽家、民間伝承団、劇団、応用美術家、そして優れた美術品作成スタジオ等々、総計30,000人もの人々がこの祭典で自分自身を民族の伝統に捧げています。
主な祝賀イベント
祭典のプレイベントとして、リガ市内や郊外での広場や公園、そしてストリートなどでは、歌唱やダンス、楽器演奏など、各地域の民族団体によるパフォーマンス活動など多岐にわたるイベントが一週間にわたって行われます。魔法のようなオープニングコンサートは、1873年にラトビア全土の歌の祭典が初めて開催されたまさに同じ場所-リガのヴィエストゥルダールッス公園(Viesturdārzs Park)で開催されます。ダウガワスタジアムのピッチ上では、数千人の踊り手たちによって、一見すると軽々とこなしているようにも見えてしまう圧倒的な振付けで、ラトビアの民族的な文様や象徴が表現されます。一方で合唱団も“ベストの中のベスト”の称号を競い熱戦を繰り広げます。
この祭典の最終日に行われるグランドフィナーレは、まだまだお楽しみが待ち受ける夕刻、カラフルな民族衣装を身にまとった全参加者がリガの中心街をパレードします。そして13,000人もの合唱者の声が全て一つに合わさり、この祝賀を締めくくるのです。民族舞踏の踊り手もちょうど同じくらいの人数です。ラトビアの歌と踊りの祭典は、決して消えることなく5年ごとに驚きが続いてゆきます。クロージングコンサートは、民族の伝統と現代のトレンドを組み合わせた素晴らしい演出と振り付けで演舞の真髄を表すでしょう。
青少年による歌と踊りの祭典
その歴史は比較的短い(1960年から)にもかかわらず、(成人の)歌と踊りの祭典への参加まであと一、二歩というところにいる青少年が輝くチャンスを手にできる場は憧れの的で、そしてそれはとても喜ばしい事でもあります。青少年による歌と踊りの祭典は、成人の祭典が開かれる中間の年に開催されます。
祭典の起源
ラトビア全土にわたる歌と踊りの祭典の起源は1864年に遡り、6人の男性の合唱団がヴィゼメ地方の片田舎で宗教音楽と民族舞踊を共に行ったのが始まりと考えられています。